良質乳で組合は損??

 《良質乳で組合は損??》
 先般、年の始めに組合員と組合の経営者の懇談会がありました。
組合が直接組合員からの要望を聞き取ることと、今後の組合の方針を説明す
る為に、毎年開かれます。

さてこの中で次のような話がありました。
昨年の乳質は皆さんの努力と冷夏のせいもあって大変よくなってきました。
細菌数は5.3万、体細胞は20.3万から19.3万で数年ぶりに20万台を切りました。
乳量も昨年より4%増えています。もっとも、組合員数が合併で増えています
けど。

なるほどなと睡魔に襲われ半分寝ながら聞いていた私ですが、細菌数は私の
平均より良いではないか。私は7万くらいかなと。
体細胞が19万、そんなに悪いの。私の平均は7万くらいだよ。
皆さん体細胞には苦労しているんだ。でももうちょっと頑張ってくださいよ。

体細胞は白血球や乳腺細胞の剥離されたもので乳房炎の指標ですね。普通50
万を超えると乳房炎とされています。

続いてお話が続きます。
乳脂率が3.95で昨年並み、無脂固形分が8.80から8.83にわずかにアップしま
した。
なるほどね。この乳脂率はいかに粗飼料(草類)を食い込んでいるか、また
無脂固形分は全体の飼料をいかに食い込んでいるかで決まってきます。

私は市販されている牛乳をあまり手にする事がないのでどのような表示に
なっているのか詳しくは知りませんが
1)乳脂率3.6%以上 無脂固形分8.5%以上 成分無調整 (一般牛乳)
2)乳脂率3.8%以上 無脂固形分8.6%以上 成分無調整 (特選牛乳)

としてあるではないかと思うのです。あくまでも成分無調整ですので乳成分
を抜き取って別に加工などしない訳ですね。

ところで我彼女達は、夏場の大変な時期は脂肪率が3.90、無脂固形分が8.58、
(8月1旬)
冬場は脂肪率4.56、無脂固形分9.07と上がってきます。(2月3旬)

昨年の冷夏で牛乳販売数は伸びなやんでおります。粉乳は全国的に大幅にス
トックがあり対策が必要です。しかしながら我組合にはありがたいことにス
トックは少量です。
乳量の計画生産は大変重要ですがここ中国地方は他県が減少しているため鳥
取県においては大丈夫のようです。

ふんふん、それはありがたいことですね。生産調整は、もういやですよ。

ところで、皆さんの乳質があがり、乳価テーブル(乳脂率と無脂固形分で構
成されそれに体細胞基準細菌数基準が追加される)において単価が高くなり
皆さんのふところ具合は良くなるのですが、組合は高く買って売る方は変わ
らないので苦しくなってきます。

なになに、良質乳で組合は損??。そんなばかな
しかしよく考えればそうかも知れないですね。それなら、良質乳をうたい文
句にして高く売れば良いではないですか?
と言ってもこのせつがない世の中、安売り競争ばかりしている乳業界、そう、
ちょっとの果汁とブドウ糖で味付けた飲み物よりやすい牛乳ですのでせっか
くの良質乳もどうしようもないのでしょうかね。

私のような酪農家は乳を搾る技術はあるんだけど(?)、高く売るアイデア
はなかなか見つかりませんよ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

三八豪雪

 《三八豪雪》
 今年も1月に寒波がきて牛舎中が凍みつきました。
積雪は50cm程度で今年初めてトラクターで除雪しました。
この日は2日に一回の集乳日でなくて良かったですね。なにしろ朝8時30分に
来る集乳車を牛舎まで入れなくてはいけないので除雪が間に合わない事に
なってしまいます。

雪は本当に苦労が多いですが、最近はあまり積もらなくなりました。今年は
今のところ除雪したのは一回です。

ところで、三八豪雪というあまりにも有名な豪雪となった年がありましたね。
これは昭和38年の豪雪で私は高校入試の年でした。
昭和37年12月の24日だと思ったのですが降り始めた雪は日中に大雪となり我
が家でも馬小屋が倒壊し、中にいた馬が下敷きとなり死亡したのを覚えてい
ます。
その後年が明けてからも毎日のように雪が降り本当に豪雪となり私の家の周
りで1mの積雪があったと記憶しています。
この頃は道路の除雪もブルトーザーで幹線ほど開けたのですが山側の方はそ
れも出来ず結局3月中旬まで解けだして砂利道が見えるまで積雪していたので
す。積雪しても解けて何回か地面が見えるのがこの回りの普通の積雪なので
すが。

この頃の私の地方の農家では乳牛が1頭から多くて3頭くらいいたと思います。
この冬期間の牛の餌は稲わら、トウモロコシのサイレージ、飼料カブなど
だったでしょうか。

この年、多くの乳牛はえさ不足、ビタミン不足で春まで持ちこたえることが
できなかったようです。そのような話はちょくちょく聞きます。
このため、農家は乳牛を飼うのをやめてしまったところが多いと聞きました。

ところで私の父母はこの時どうのようにして乳牛を守ったのでしょうか。
最大で1mの積雪があったと思うのですが母は雪を堀り、キャベツを掘り出し
て与えたと聞きました。
頭数が一頭でしたので、家庭菜園のキャベツも沢山あったわけではないので
すが、それでもなんとか約90日間の積雪期間中与えられたのでしょうか。
その甲斐あって私のうちの乳牛は倒れる事もなく元気だったと聞いています。

現在では販売されている飼料で乳牛の一生が飼育できます。そして道路の除
雪も最低1日待てば町、県が行い、牛乳の集荷も何も心配いりません。
本当に良き時代となったものですね。

私ごとですが母の四九日法要も終わりました。この間あれこれとあり、この
マガジンが遅れたことをお詫びし、今後頑張りたいと思いますのでよろしく
お願いします。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

乳牛をてなずけた女性

 《乳牛をてなずけた女性》
 乳牛がいつ頃から、ここ鳥取県に導入されたのかははっきりは解らないの
ですが、戦後間もない頃ではないかと思います。
導入された頃から、この女性がいる農家にも導入され、乳牛飼いが始まりま
した。

さて、乳牛(ホルスタイン種)は穏和な動物とされていますが、まだ若い育
成牛は何にでも興味を示す少しやんちゃなところがあり、ある面では粗暴な
者もおります。当然、人の10倍くらいの体重もあるし、その当時は徐角もし
ていないので立派な角も持っているので人間なんかなんとも思わなかった乳
牛もいたわけです。
この当時はまだ搾乳はミルカーなどの機械はなく、手搾りの時代でした。
そう、後ろ足の前、すなわち乳房の下にバケツを入れ手で搾ったのです。

ある農家の20代の若い農業者は千葉県あたりで妊娠牛をまとめて購入して連
れて帰るのですが、乳牛の中には目つきも悪そうなのがおり、「こいつは怖い
な、俺の所に来るなよ」と思ったそうです。案の定くじ引きでこの怖そうなの
に当たり、しかたなく連れて帰り、飼育し分娩させた。その後の搾乳でおお
暴れ、蹴られっぱなしで、バケツは飛んでしまうは、どうしようにもならな
かったようです。
彼はもうイヤになりこの乳牛を売り飛ばし、その後もう乳牛など飼いたくな
くなり酪農をやめたそうです。

ところで、その女性は、人と話をするように乳牛に語りかけ、何も知らない
人なら、どこかに相手がいるのかと思って頭を振り向けても誰もいないので
不思議だと思ってしまうほどに乳牛に話しかけるのでした。
この女性は人に話しかけるよりも、乳牛と話しているのがよっぽど楽しかっ
たようです。

このように話しかけられた乳牛はその粗暴さを忘れて、彼女に寄り添い着て
いる作業着をなめ回し、あるいは噛んで引き寄せようとするのでした。
この女性が搾乳すると、どういうわけかおとなしく搾らせるのでした。

しかしどうにも慣れないのもいるので、時には蹴られて軽い彼女は2mも飛ん
でしまう事もあったのですが、それでも最後にはやはり搾らせたのです。

牛飼いの仲間もこの女性のこうした飼育には一目置かざる得ませんでした。

その後も女性はミルカーの時代にはミルカーを使い、堂々と乳牛を手ならし
ながら搾乳し続けました。
75歳頃、尻尾にぶたれて片目を網膜はく離で手術しましたがその甲斐もなく
失明し、搾乳を断念するまで乳牛と共にしたのです。

この彼女も当年もう1週間で満89歳になるところで天命に逆らえずこの世を去
りました。

そうです。この彼女は私の母です。以前に低血糖で倒れた報告しましたが残
念ながら肝機能不全で天寿いたしました。
本当に乳牛が大好きな母でした。天国でも乳牛を飼っているのかも知れない
ですね。安らかに眠りたまえ。

| | Comments (4) | TrackBack (1)

大山放牧場

daisen

| | Comments (0) | TrackBack (1)